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幸せをよぶホテイアオイ (2011年12月30日ベトナムにて):

ホテイアオイ  ある日の昼下がり、友人から頼まれてアジアン調の敷物を探しにぶらりと郊外へ出た。カチャン、カチャン・・・・小さな町の小さな小さなござ工場から織機の音が・・・立ち寄ると杖をついて片足で出迎えてくれた社長さん、40年前ベトナム戦争で片足を負傷してしまったと語ってくれた。灯りもない薄暗い事務所兼工場では12,3歳のあどけない少年、3~4人の女性が何やらおしゃべりをしながら作業をしている。工場内の様子をしばらくの間何気なくみていると、片隅に埃をかぶった天然素材の敷物が目にとまった。社長さんに尋ねてみると、近くの川で生息した「Lục Bình」と教えてくれた。僕が興味深そうにきいている様子をみて「生息地へ案内するよと若い女の子~小柄で髪を無造作に束ねた素朴な女の子~が声をかけてくれた。

 工場からどれくらい走ったであろう、辺り一帯に水草が生息している広大な原野が、さらにその先に進むと、メコン川の支流につきあたった。川は小さな漁船が行きかい、目と鼻の先といえども向こう岸まで渡るために渡船を待っている人々で賑わっている。

 女の子はどこまで案内してくれるのだろう・・・しばらく川を眺めていると古びれた渡船が岸壁へ、女の子に連れられ乗船。重油の排気臭を嗅ぎながらあっという間に対岸に近づいた。と、そのとき大きな声で女の子が「・・・・・・!!」と叫んだ。僕の目にはその時は映らなかったが、川沿いにいる父親を見て、嬉しさのあまり「お父さ~ん!!」と叫んだことが後で分かった。町の工場では住み込みで働いているために、久しぶりに地元へ帰ったらしい。船を降りると・・・見渡す限りの湿原、1本の果てしなく長く続く道、側道には乾燥した水草がずらり並べられている。女の子は道沿いに可憐に咲く薄紫の花々を指して、これが敷物の原料であることを教えてくれた。近くで間近にみてみるとふっくらとした植物、それは日本で夏によくみるホテイアオイ。

ホテイアオイの収穫  その時、偶然にも顔見知りのおじさんと出会う。カブの後ろに青々としたほていあおいをどっさりと積み家路を急いでいた様子。にもかかわらずカブを降りて、採ったほていあおいを見せてくれる。気さくにおじさんは布袋葵について語ってくれた。季節問わず年中生息していること、あくまでも自然、農薬など人工栽培ではないこと、採った後は道に並べてきれいに乾燥させて工場に出すんだよと。元気いっぱいのおじさんと一緒に思わず写真を1枚撮ることに。

 その後、女の子の案内に任せて川辺を歩いた。土造りの一軒の平屋に案内された。不思議に思っていると彼女の実家に立ち寄ったらしい。初めて会う僕にも怪訝そうな顔ひとつせずにこやかにご両親が出迎え、父親は先程今晩のおかずを釣ってきたと小魚を見せてくれ、母親は小さなお家を案内しはじめた。部屋は昔かいだことのあるような懐かしい土臭い蔵の中の匂いがした。家の裏には川が流れ、その水を生活水として使っていること、雨水を甕に貯めその上水を飲み水としていることなどを次々と話してくれた。帰り際にはお皿に並べたグラッセをどうぞと。早速口に放りこむと、口の中がほのかに甘くなった。上を見上げると大木に生っている鮮やかに輝く黄緑色のその果実。束の間の時間を過ごしたあと、女の子と一緒に実家を後にして工場へ戻った。

 このひと時、戦後に生まれた僕が経験したことのない時代へタイムスリップしたような不思議な錯覚に陥った。普段喧噪な社会で時間に追われ、今の自分に満足することなく、将来への不安を抱きながら生きている自分が情けなくなった。当然のように電気、ガス、水道といったインフラはゼロの生活・・・・でも、その地で生活する人々のやさしさ、あたたかさには本当に心を打たれた。気付くと僕の目には涙があふれ、心から今いきていることにありがとうと言えた。

 今日出会った人々の本当の思いは十分に言葉を交わせなかったので分からない。ただ、僕に感動を与えてくれた女の子、家族、この地の人々が少しでも便利でゆとりある生活ができるよう、「幸せをよぶほていあおい」が一助になることを願って・・・
(東尾公弘 2012年2月14日)